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2016年4月20日水曜日

次期バージョンは、Mac OS 22になるかも?

アップルに関して、いまWebで話題となっている事のヒトツに、「OSX」の名称を次期バージョンから「Mac OS」へ変更する可能性があるらしいとの流布だ。

メジャーバージョンが10世代目を意味する「OSX」は既に15年以上続き、それ以前からの通算では、最新の OS X v10.11 (El Capitan) は 21代目になる。

「Mac OS」の名称は、「漢字Talk 7」 のアップデートが何の予告も無しに突然「Mac OS 7.6」として登場して以来である。

それ以降、Mac OS 8 から Mac OS 9.2 を経て、Mac OSX v10.0 (Cheetah) がリリースされ今日に至っている。

「OSX」のシガラミを絶つのであれば、通算のバージョン数を付けるのが順当だと思うが、それでは余りにも考え無しか? 6月のWWDCが待たれる。

2016年4月18日月曜日

アンタレスに火星が接近、土星も

午前二時頃、見上げる南の空、さそり座の一等星アンタレスに火星が接近。オマケに土星も近くに居て、明るい星が三角形を為していた。どれも明るく直ぐ目に付くが、深夜だけに気づいた人がどれ ほど居るのか?

左が土星、右が火星、右下がアンタレス
視野7°の双眼鏡では、火星とアンタレスは、その視野に収まるが、土星は僅かにはみ出してしまう。月齢10位の月は既に東の空で没しそうになって居て、見過ごすことは無さそうだ。

2016年4月14日木曜日

アップル製品の歴史を凝縮したビッグポスター

アップルが誕生して40年、このビッグポスターでは、アップル製のハードウェアからソフトウェアまで、何と556アイテムのオンパレードだ。
上の画像をクリックするとビッグサイズのページへリンクする

先日のアップルのイベントで新たにラインナップに加わった iPhone SE や 9.7インチiPad Pro を含む、アップルの全製品が一枚のポスターに収められている。

製品は、年代とカテゴリー(ソフトウエア、入出力装置、デスクトップ/タワー型、オールインワン型、ラップトップ型、ハンドヘルド型)によって分類されている。

ポスターの縦軸は年代を表していて、Lisa から Apple Watch へ、小型で高性能化していく様が良くわかる。また、スティーブ・ジョブズがアップルを追い出され、そしてカムバックする1997年を境に、製品ラインナップがぐっと絞られていて、彼の復帰が、その後のアップルの進むべき道を明確にしたとも言える。

1998年、カラフルでパソコンらしからぬフォルムの iMac や iBook を発表し、その数年後に、コンピューターとは丸で縁の無さそうなポータブル音楽プレーヤー iPod を発表した。
この iPod の成功で、その後のハンドヘルド端末(iPod touch、iPhone、iPad、Apple Watch)を次々とヒットさせ、ビジネスチャンスを摑んだことは周知の事実だ。

創業以来の社名 Apple Computer Inc を Apple Inc に変更したことは、このサクセスストーリーのプロローグだったのかも知れない。


余談だが、
マック歴は四半世紀になるが、1990年、DTPの職場で初対面となったマックが、ビッグポスターの上の方にある Macintosh IIfx だ。(画像をWebから拝借したが)システム一式は、概ねこれと同一であった。


NECのノート型パソコン PC-9801NSを買った頃で、Macintosh IIfx の CPU: 68030/40MHz, Max RAM: 32MB(64Pin), HDD: 80MB, FDD x 2, SCSI DMA, Expansion: NuBus x 6, 030PDS など、そのスペックに圧倒された。
当時としては正に孤高のマック、本体が180万円、純正13吋カラーモニターが30万円、純正キーボードが3万円、純正マウスが一万円位と、空前絶後の価格にも驚かされた。同じ時期、NECのデスクトップ型の PC-98シリーズ(RAM : 640kB, MS-DOS3.3)で一式揃えても50万円には届かなかった。

2016年4月6日水曜日

増上寺、サクラが満開

東日本では一番大きな伽藍の三縁山増上寺、背後に東京タワーが迫って見える。普段は、東京タワーへ行く人々が近道として境内を通過して行くが、この時季ばかりは花見客に早変わりだ。


都内では最大級の広さの境内だが、場所柄、ブルーシートを敷いての花見は御法度、暫し足を止め、満開の桜を仰ぎ見る姿が数多く見られた。

四月のこの時期、増上寺では、浄土宗の宗祖法然上人の忌日法要としての御忌大会があり、全国から檀信徒が集まり、何時になく境内に賑わいを感じる。