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2006年3月31日金曜日

芝増上寺の境内も満開・・・

東日本では一番大きな伽藍の三縁山増上寺。徳川家康が浄土宗に帰依し、以後、代々徳川家の菩提寺となっています。今では直ぐ背後にある東京タワーへ行く人々が近道として境内を通過して行きますが、この時ばかりは花見客に早変わり。この時季、都内でも屈指の広さの境内は、まさに桜一色になります。








芝増上寺の裏山の桜も満開・・・

東京タワーに近い芝増上寺の裏山の桜も今が見頃です。時折吹く寒風にも未だ未だシッカリと枝に付き、淡いピンクの花弁がピーンと張って綺麗な形に見えています。土地の者以外、本殿裏手のこの場所を知る者は少なく静かな花見が出来そうです。






2006年3月30日木曜日

東京タワーに近い、芝公園も満開・・・

東京タワーの南側、赤羽橋交差点に近い弁天池のある辺りは、この週末、花見の宴の場所取りで朝からコンビニ袋と携帯を持った若者が、大判の青いビニールシートを敷いて寒風に身を屈めています。花見に異論はありませんが、この青いシートは周囲の雰囲気とアンマッチ、夜になれば目立つことも無い様ですが何とも無粋、画面に映り込まない様に撮るのに一苦労しました。






2006年3月28日火曜日

桜田門にたった一本ある桜

皇居外苑の北西側、英国大使館前から千鳥が淵にかけての桜並木は有名でいつも花見客で賑わいます。それとは対照的なのが、大手町に隣接する外苑東側、何故か黒松ばかりで桜はほんの僅かしかありません。なかでも、桜田門には毎年色鮮やかに咲く桜が一本あります。城門の石垣とお濠の方へ枝を伸ばした風景は格好の撮影ポイントで人影が絶えませんが、私が行った時には未だ三分咲き程度、きっと今頃は満開になっていることでしょう。








「桜田門外の変」
江戸時代後期(1860年3月24日)、水戸藩の浪士がこの桜田門外で大老井伊直弼の行列を襲い暗殺した。

2006年3月26日日曜日

学研の手作りキット「真空管ラジオ」を買った その2

中央がスピーカ、四辺形のコイル
学研が発行している「大人の科学」シリーズ「真空管ラジオ」を、早々と書店で見付け買ってしまいました。価格は8,800円、10,000台の限定発売だそうです。

パッケージの大きさに比べて意外と軽く拍子抜けでしたが、これが真空管ラジオのキットかと思うとわくわくドキドキの気持ちです。

この真空管ラジオは 三球再生検波方式のものです。再生検波方式は、真空管ラジオが登場した時代から昭和二十年代までよく使用された回路です。なお、「三球」とは「三本の真空管」の意味で「球」は真空管のことを指しています。

昭和三十年代から四十年代初めまで、私もGT管やST管、MT管の並三ラジオや並四ラジオそして高一ラジオなど、半田鏝を片手に、作っては壊し、作っては壊しの時代がありました。
パッケージ背面
パッケージ正面
なお、このキットは主要な電子回路は全てプリント基板に取り付けられ完成品になっていて半田鏝の出番はありません。プリント基板へ接続するコイルやバリコンその他の部品の加工が必要です。

当時、MT管(電池管)によるものは、五球スーパーラジオとして電池により動作させる携帯用ラジオとして、お弁当箱サイズのラジオを持って歩く事がステータスでした。それも何時しかトランジスタ式の小型軽量のラジオに置き換わって行きました。

そんな意味では、このキットも電池式ですから、外へ持って出てもラジオを聴取出来ますが、この形状では、ちょっと勇気が要りそうな気がして・・・

今回のキットに使用しているMT型真空管は三十年くらい前の中国製の電池管、1K2で再生検波、1B2と2P2(または3S4)の2本の真空管で低周波増幅をしてスピーカーを鳴らします。

左から真空管1K2、1B2、2P
昔々、真空管ラジオを作った経験のある私にとって回路図が一番気になるところですが、説明書の裏表紙にその回路図はありました。典型的な再生検波方式の回路ですが、今さら懐かしく見入っています。

AC100Vで動作させる様にするとパワートランスや整流回路など回路的に複雑になることと、その分だけ大きく重くなること、感電などの心配があることなどの理由から電池式にしたのでしょう。また、電池は汎用性がありどこでも入手可能なのがよいと思われます。


回路的に見ていくと、イヤホンで聴く時にイヤホンプラグを差し込むと、低周波増幅管(2P2)のヒータが消灯して、その分だけ単二電池の電流を少なくでき、いわゆる省エネ指向の設計も頷けます。
また、この再生式のラジオでは音量調節のボリュームがありませんが、再生の度合いを加減を調節することにより副次的に音量の加減をしています。
なお、この再生の度合いの調節は、豆バリコンと称して当時は小型バリコンが使用されるのが定石でしたが、今回は入手困難?なこともあり、コイルと並列にボリュームを接続し代用しているようです。

日比谷公園は早くも七分咲き

都心にある日比谷公園の花壇は四季折々に鮮やかな草花が整然と植え込まれ訪れる人々の目を楽しませています。しかし、樹木の多い割に花見の出来る木は少ないようです。
この時季に開花する桜の木も少なく、広々とした園内を探し歩く事になります。それでも時季を忘れず今年もはや七分咲き、この週末は見頃で来週には葉桜でしょうか。






2006年3月25日土曜日

学研の手作りキット「真空管ラジオ」を買った その1

学研が発行している「大人の科学」シリーズに「真空管ラジオ」が加わりました。3月25日発売で価格は8,800円、10,000台の限定発売だそうです。

中央がスピーカ、四辺形のコイル
ガラス管の中にほんのり灯るフィラメントを見ながら、真空管ならではの柔らかな音でラジオの受信が楽しめるこのキットは、真空管時代をよく知る私にも非常に興味があり、早速ながら東京駅北口に近い丸善書店で買い求めました。

この真空管ラジオは 三球再生検波方式のものです。
この再生検波方式は、真空管ラジオが登場した時代から昭和二十年代までよく使用された回路で、真空管全盛の当時は、ラジオの製作の入門用として、並三ラジオや並四ラジオとして数多く製作されました。

何でも、このキットに使用しているMT型真空管は、1950年〜1960年代に中国で製造された直熱式の電池管、比較的低電圧で動作が可能なもので、中国軍の通信機用として製造された真空管と説明されています。

左から真空管1K2、1B2、2P2
真空管1K2で再生検波、1B2と2P2(または3S4)の2本の真空管で低周波増幅をしてスピーカーを鳴らします。電源としては45V(006P×5個)で動作し、フィラメントは1.5Vの単二電池を使用しています。

コイル、バリコン、真空管、ボリューム、スピーカーを除く部品は、プリント 基板上にあらかじめハンダ付けされています。
自分で作業するのは、絹巻きリッツ線を巻いて作るコイル部分の組み立て製作、 バリコン部分の組み立て、ボリュームやスピーカー、プリント基板の取り付け、そして各部 のワイヤリングです。

これから製作の過程をデジカメで記録しつつ完成させブログでも紹介してみたいと思っています。



コメント(アーカイブ)

こんばんは。初めまして。

先日通販のAmazonで注文したのですよ。
あー!電池式とは思いませんでした。
大型でしたのでAC100Vと思ってました。
明日には届くみたい。
電池代が大変そうです。
Posted by  おーにゃん at 2006.3.25 18:38:27
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私は昨日(3月24日の夕方に)東京駅に近い丸善書店で手に入れました。
そうなんですね、移動用の無線機や受信機用に造られた真空管ですから、乾電池が必要ですね。
真空管の名称が中国独自の命名の様ですが、私たちに分かり易い米国名称で言えば、1T4、1S5、3S4です。
そう言われてみれば、私自身はこの真空管を全部持っています。昭和三十年代には携帯用受信機にはしばしば使われた真空管でした。
ヒータ電流が50mAですから三本で150mAほど、それ故、単二乾電池でも十分でしょう。当時より電池の性能が格段に上がっているので長時間使えると思います。ただし、積層電池の006Pを五個直列に繋いで45Vを得る様にしているのは大変苦しいと思います。当時でしたら同じ積層電池で45Vとか67.5Vとかの電池を使用する訳ですが・・・乾電池メーカとしてマクセル(現在の日立マクセル)は有名でした。
なお、同梱されている真空管は、かなり長い年月を経ているためか、品番がかすれて読み難く、底部にマジックで黒色、青色、赤色を塗り識別できる様にしてあります。また、真空管セットの追加注文は4,500円だそうです。
Posted by  BlueMac at 2006.3.25 20:43:25
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こんばんは。

凄いですね。電池管お持ちなんですね。
なんか他にも沢山持ってらっしゃるのでは?。
コレクションとかされてます?。
電池管の寿命はやはり普通のタイプより短いのでしょうか・・・。
なんか久々にワクワクします。
Posted by  おーにゃん at 2006.3.25 23:06:32
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これが「ASAHIパソコン」の表紙なの?

既に旧聞ですが、毎号、その時々の話題の人の顔が印象的だった 「ASAHIパソコン」の表紙が、赤一色に塗るつぶされ、冒頭に、

またお逢いいたしましょう。

これが本当の最後になりました。 ASAHIパソコンは今号、2006年3月15日号、通巻399号をもって、休刊させて頂きます・・・っと、編集長の辞。

ASAHIパソコン 通巻399号
創刊号が発売された1988年は平成でなく昭和63年。MS-DOS4.0、一太郎Ver3、NEC PC-9801の全盛時代。

その後、ウィンドウズ95の登場やインターネットの爆発的な普及、パソコンの劇的な低価格高性能化など時代は大きく変化してきました。

iPodで音楽が聴きたいからMacを買うとか、DVDを焼きたいからPCを買う時代になりました。つまり、パソコンのハードの解説より読者の求めるソリューション中心の時代になってきています。そんな状況下でASAHIパソコンはその使命を終えた様にも思われます。

MacFanと併せリベラルなPC誌として要チェックだったASAHIパソコンも日経バイト、日経クリニック、PC USER、暮らしとパソコン、MAC LIFEなどと共に消えてしまう事に、一抹の寂しさを感じているのは私だけでしょうか?

ASAHIパソコン 2006年3月15日号の主な特集記事を以下に揚げておきます。

「ファイナル特集1」
アサヒパソコン年代記
あなたとともに歩んだアサヒパソコンの18年

「ファイナル特集2」
アサヒパソコンからの遺言
アサヒパソコンもこの号をもって休刊。しかし、別れを告げるにあたって、IT業界に、言いたいことがある。IT業界関係者よ、遺言だと思って聞いてくれ。

「ファイナル特集3」
アサヒパソコンに贈る言葉
ゆかりある人たちからの休刊へのメッセージ
俵万智、原田泳幸、高山由、清水義範、西和彦、浮川和宣、ライバル誌編集長、メーカー広報の皆さん ほか

2006年3月22日水曜日

「W-ZERO3」で撮った秋葉原の街並み

秋葉原中央通りの街並みを「W-ZERO3」で撮ってみました。

ウィルコムの「W-ZERO3」


三月上旬の午後の事で、日の傾くのが早く、日のあたる場所と日陰との明暗差が大きく、ビルの壁面は明るく、地上は暗く、露光条件としてはかなり厳しいモノがありました。
しばしばアキバを訪れる方はお分かりと思いますが、撮影場所は、JR秋葉原駅ホーム → 駅改札口前 → 秋葉原中央通り→ 万世橋の順になっています。
to be continued.