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2014年5月12日月曜日

「ジェットストリーム」の CDをホームセンターで売っていた、

このジェットストリームは、今から44年前の1970年4月から "FM東海" を引き継いで開局した民放 "FM東京" が放送を続けた音楽番組。MCは、プラチナの低音の持ち主と言われた城 達也。27年間の長きにわたりナレーションを務めた正にFMの長寿番組とも言える。彼は1995年に惜しくも他界した。スポンサーは、放送開始当時からJAL(日本航空)一社による提供番組である。

放送は毎週、月曜日から金曜日深夜0時から1時までの放送で、オープニングの "ミスター・ロンリー"(Franck Pourcel Grand Orchestra)とエンディング の "夜間飛行" (Raymond Lefèvrel Grand Orchestra)は、いつまでもリスナーの心に残るモノであり続けると思う。

城 達也の声が聴けなくなってから間もなく20年にもなろうとしているが、あの番組と彼の声を聴きたい往時のファンは結構居るようだ。

今ではCDに頼るしかないが、TSUTAYAのようなところでは入手出来ない。専らネットで探すしか無い現状がある。通信販売は、敷居の高い人も多いし、また、高いのが難点だ。

久々、いわゆるホームセンターとでも言うか "D2" のCD売場の棚に「ジェットストリーム」のCDが並んでいるのに気付いた。

数年前には全10枚が揃って棚にあったが、その後、姿を消していた。よく見ると自分が通販で買ったのと同じパッケージだ。一枚千円ほどだが、通販で10枚セットを買えば一万円はしなかった。この店に限らないが、ホームセンターとかハードオフや中古ショップを探せば入手出来るチャンスはありそうだ。

なお、売っていたのは、ジェットストリーム:正規国内版CD10枚セットの内の5枚

ジェットストリーム1 碧空
ジェットストリーム2 珊瑚礁の彼方に
ジェットストリーム3 コパカバーナ
ジェットストリーム4 カミニート
ジェットストリーム5 シェルブールの雨傘
ジェットストリーム6 ベニスの愛
ジェットストリーム7 さらばローマ
ジェットストリーム8 闘牛士のマンボ
ジェットストリーム9 カフェモーツァルトワルツ
ジェットストリーム10 ムーンライトセレナーデ

2010年3月24日水曜日

宇田川清江、ラジオ深夜便を二十年掛けて卒業

いつも行く近所のコンビニの週刊誌など雑誌を並べてある書架の一冊に目が行った。

ラジオ深夜便読本
宇田川清江特集
ありがとう!深夜便20年

宇田川清江って、日曜日の深夜、枕元のラジオから、そっと語りかけてくるあの声の持ち主。一説には二百万人のリスナーが居ると言われるNHKの深夜番組 "ラジオ深夜便" のアンカーだ。
巻末から引用すると、1935年(昭和10年)東京生まれ。1957年にNHK入局。立体音楽堂、生活の知恵などのキャスターを担当する。1964年退局、フリーとなってTBS、テレビ朝日、FM東京などで活躍。1990年のラジオ深夜便の番組誕生と共にアンカーを務め、今月まで二十年間をこの番組と共に過ごした。

この本では、知られざるラジオ深夜便の舞台裏や、リスナーとの交流が生んだ感動のエピソード、俳人鷹羽狩行さん出演のラジオ歳時記から生まれた俳句を通して番組と共に歩んだ二十年を辿っている。

掲載内容は、
スタジオレポート★生放送6時間の舞台裏
忘れられない人々、忘れられないできごと 宇田川清江
アンカーエッセーセクション
メディアが注目した深夜便
宇田川清江語録で読む深夜便
宇田川清江の四苦八苦 ラジオ歳時記より

A5版168ページの体裁だが、
文字も大きめで、この歳のこの目には優しい。

裏表紙も巻頭のスタジオレポート★生放送6時間の舞台裏の6ページもカラーだが、何故か表紙の彼女だけはモノクロのまま。
もちろんカラーに出来ない訳ではないが、これもフィナーレを迎えようとする彼女なりの美学かも知れない。

あなたは、ラジオ深夜便のアイドルだとか?と、お世辞を言われれば、いいえ、私は深夜便のババドルです、と切り返す、常にリスナーとの交流も大切にしてきた。
今や、ラジオ深夜便は、シニア層を中心に人気も定着、眠れぬ夜の心の友となっている。
これからユックリと番組で聴いたこと、聴けなかったことも含めジックリと宇田川清江をレビューしてみる積もりだ。

最後の出番は三月二十一日だったが、失念していて番組途中から聴き始めた。

午前四時過ぎには、
こころの時代、ハリー・ポッターと歩んだわたしの道
誕生日の花は、バイモ 花言葉は 才能
きょうの一句は、書を置いて 開かずにあり 春炬燵

エンディングが迫って来て、
お別れに私から三好達治の詩を、
春の岬 旅のをはりの鴎どり 浮きつつ遠くなりにけるかも、と

そして、エンディングは、
「今日もおだやかにお過ごしください、
 ごきげんよろしゅう、
 さようなら、
 ごきげんよう」
一瞬の静寂があり、時計の針は限りなく午前五時に近く、ステーションブレークが入る直前、間合いを計っていたかの様に僅か数秒「失礼しました」っと、小声で挨拶したのが最後の言葉だった。

もお、宇田川清江の声は聴けない。
名残惜しいが、これで、また一人、綺麗な日本語を喋るアンカーがラジオ深夜便から卒業して行った。

番組明けのこの日、三月二十二日は、NHKの前身、東京中央放送局(JOAK)が、東京港区芝浦の仮放送所で開局した放送記念日(85周年)でもあり、何か運命めいたものを感じた。
フォーエバー、宇田川清江。

2010年1月23日土曜日

今月12日に開局した"TOKYO FM"八王子中継局の電波を受信

"TOKYO FM" は、東京タワーから電波を送出していますが、東京西部の難視聴対策とかで、中央道八王子ICの西側の丘陵地に中継所を開局しました。

昨年の夏頃には、既に試験電波が受信されていたと聞きましたが、確認もせず今日に至っていました。たまたま、ソニーのFM/AM/SWラジオ "ICF-SW7600GR" の電池を交換することになりダイヤルを合わせてみました。


しかし、雑音だけで何も聴こえず、窓際へ寄ってロッドアンテナを引き延ばしたところ、雑音混じりでしたが放送が受信できました。

東京タワーからの電波は 80MHzで10kW出力、こちらは 80.5MHz。出力はたったの 10Wと公表されていて、彼我の距離が 40km弱あり、受信状態が余り良くないのも致し方ないと思いました。

FM専用の八木アンテナにして、八王子方向に向ければ、かなりの改善も期待できますが、親局の東京タワーの強電界地区に住む私には、受信障害となる、電波のマルチパス対策の方が長年の懸案事項です。

それとは別ですが、この "TOKYO FM" は、今年の四月で開局四十周年とか?アナウスされていて、そんなに経ったのかと感慨深いものがあります。四十年前と言えば、1970年ですが、当時は"FM東京"と名乗り、それまでのAM放送とは一線を画す、高品位高忠実度のいわゆる HiFiステレオ放送を開始しました。

しかし、この時代を知る人も少なくなって来ていますが、"FM東京"の前に更に十年の FM放送の歴史がありました。

私学の東海大学が FM放送による高等通信教育を実施する計画の元に、実験局として開局した"FM東海"がありました。この"FM東海"が民放化され"FM東京"となったのが1970年のことです。

今にして思い返せば、この"FM東海"の十年無くして、今日の "TOKYO FM" は無かった訳で、現在も筆頭株主は東海大学、二番目は東京タワーを管理運営する日本電波塔(株)となっています。

当初は、NHK FMとの二局体制でしたが、時が経つに連れ、在京の民放FM局は更に二局が放送を開始、それに加え、東京隣接県でも民放FM局が次々と開局し、競争も激化しているようです。

また、電波に寄らないメディアも次々に出現し、"TOKYO FM" も昨年の暮れからWiFi経由で iPhoneでも聴取できるサイマル放送が実験的に始まりました。

ネット経由が全て有利とは言えませんが、それぞれの特徴を生かすことにより、別々の利用形態が存続していくようにも思えます。日本の FM放送も実験放送の開始から半世紀が経ち、変わらない部分と大きく変わらなければならない部分との棲み分けを考える時が来ているように思われます。

2009年12月9日水曜日

ラジオ深夜便で石澤典夫が "American Graffiti" を解説して

今朝方と言っても深夜のNHK-FMのラジオ深夜便を聴くとは無しに聴いていました。

この日のアンカーは、石澤典夫さんでした。アンカーの方々は、NHKのアナウンサーでも年期のはいったというかベテランの方々が多いようです。

石澤典夫さんも、NHK総合TVの夜九時のアナウンサーとして、女子アナの有働さんとタッグを組んでいたこともあり名実共によく知られた方で、この秋からラジオ深夜便のアンカーの仲間入りを果たしたようです。

前置きが長くなりましたが、聴くとは無しに聴き始めた今回のプログラムは、何とアメリカ映画 "アメリカン・グラフィティ(American Graffiti)" のバックで流れていた、当時のアメリカン・ポップスの代表曲ばかりで、懐かしさのあまり目がパッチリと開いてしまいました。

この映画は見逃していて、ずいぶん昔ですが、衛星放送のWOWOWでオンエアーされた時の録画テープは今も手元にあります。その後に出た二枚組のCDは直ぐに買い求めました。聞いた話ですが、著作権がらみでLD化は見送られ、ずっーと後になってDVDがやっと発売され、これも買いました。

その後、映画の方はパート2が出て、これも間を置くようにしてDVD化され、日本では限定数量の発売があったと後日に聞きましたが、今もってお目に掛かっていません。

それにしても、映像をオフにしてサウンドだけ聴いてもサマになるのが "アメリカン・グラフィティ" だと思います。

石澤アンカーのニュースを読むかのような淡々とした語りもなかなか良い、今まで視逃したり聴き逃したりしていたことが、彼の解説にあったりして今更ながら勉強にもなりました。

 "アメリカン・グラフィティ" は、ジョージ・ルーカスが監督・脚本し、1973年に公開されたアメリカ映画。公開より十年ほど前の1960年代のサンフランシスコ郊外の田舎町を舞台に、ハイスクールを卒業し、進学のための旅立ちを翌日に控えた夕方から翌朝までの一夜を映像化しています。

この映画では、現在オールディーズと称される名曲が全編で聴くことができます。また、当時のDJとして日本でもよく知られた、ウルフマン・ジャックも登場し、あのノリの良いダミ声を懐かしく聴いた様に思い出されます。

キャストとしては、当時は無名だったリチャード・ドレイファス、ハリソン・フォード、ロン・ハワードなど、後にはアメリカ映画を代表する大スターや監督になりました。また、デビー役を務め、コニー・スチーブンスに似ていると声を掛けられ気を良くしたキャンディ・クラークは可愛く印象に残っています。

ストーリーは、当時のアメリカのティーンエイジャー達のごく普通の夜の過ごし方を描写していますが、視ている私達には、60年代のアメリカン・ヒット・ポップスも楽しむことができます。

70年代80年代にFM放送でよく聴いたサントラ盤の41曲が最初から最後まで出てきて、毎晩、FM誌を頼りにNHK-FMやFM東京の番組をエアーチェックした日々が懐かしく思い出されました。

今ではアメリカ版の懐メロとでも言えるものですが、この映画ではもう一つ見所があります。

それは、この映画に登場するクルマが凄い。
私はカーマニアでないので車種などは特定できませんが、50年代60年代製と思われる、格好いいアメ車のオンパレードです。

後日談を聞く機会がありましたが、主役達が運転したクルマは購入したものの、その他の多くが撮影地の住民のマイカーだったようです。これだけでも当時のアメリカの裕福さがクルマに象徴されているようで、流石と納得してしまいました。

何とも懐かしい放送で、その昔はジェットストリームを聴く毎晩でしたが、今はラジオ深夜便に変わり、自分の歳を実感する毎夜になりました。

2008年7月14日月曜日

"JET STREAM" の全面広告に往時を懐かしく思い出しました。

日曜日の朝刊の最終ページは何と "JET STREAM" のCDの通販広告、それもフルカラー1ページものでした。この「ジェットストリーム」は、1967年(昭和42年)、当時は東海大学のFM実用化試験局だった "FM東海" から放送されたFM音楽番組です。

ジェットストリームの放送が開始された頃の "FM東海" が実用化試験局であったことからも分かる様に、日本国内でのFMの本放送はだいぶ先の事で、東京都内で受信出来たのは、同じ実用化試験局のNHK FM(東京)とこの "FM東海" だけでした。

当時、FM受信機を持っている人はごく僅か、自作の人も居たくらいで、ましてや、電波の届く距離も短く、東京の隣接県では高利得のアンテナがないとFM放送の受信は出来ませんでした。


このジェットストリームは、1970年(昭和45年)4月から "FM東海" を引き継いで開局した民放 "FM東京" にバトンタッチされて放送を続け、2004年11月25日に放送1万回、昨年7月3日に放送40周年を迎えた正にFMの長寿番組です。

スポンサーは、ご存じの方も居られると思いますが、放送開始当時からJAL(日本航空)一社による提供番組で、演出面などにおいても、JALと深い関わりを持つ番組です。

放送は毎週、月曜日から金曜日深夜0時から1時までの放送で、世界各地の風物をセンス良く語り、次第次第にリスナー自身がその世界へ引き込まれて行く思いでした。

特に、オープニングの "ミスター・ロンリー"(Franck Pourcel Grand Orchestra)とエンディング の "夜間飛行" (Raymond Lefèvrel Grand Orchestra)は、いつまでもリスナーの心に残るモノであり続けると思います。

初代ナレータ(機長)は、プラチナの低音の持ち主と言われた城 達也さん。イージーリスニングに相応しい緩やかなストリングスメロディーをバックに、世界各地の街角をロマンチックなナレーションで紹介する深夜の一時間。夢の世界へ誘うようなその声で、多くのリスナーを魅了しました。FM番組としては異例、27年間のナレーションを務め1995年に惜しくも他界されました。

二代目は城さんの路線をおおむね踏襲した同じ事務所の後輩 小野田英一さん、三代目は森田真奈美さんですが、番組の企画から構成までスッカリ変わり全く別番組の様で不評?でした。
そして四代目、現在の機長(ナレータ)は俳優の伊武雅刀さん。城さんの語りにも似た安らぎのあるナレーションと選曲でロマン飛行を続けていて、FM放送の最長番組として現在も記録を更新しています。

私は "FM東海" 時代からのジェットストリームのリスナーです。
その後、本放送が始まった "FM東京" 時代からはエアーチェックしたジェットストリームのカセットテープの幾つかを保存していますが、いま専ら聴くのは、十年ほど前に "TUTAYA"でレンタルしたCD(複数)をダビングしたCD-Rからです。
しかし、それも最近はiTunesに取り込んで聴くとはなしに聴くスタイルに変わりました。

"ミスター・ロンリー" を聴くたびに思うことは、城 達也あってのジェットストリームであり、ジェットストリームは城 達也なしには語れない不即不離のものとして、永久にリスナーの心に残る名パーソナリティーでしょう。



オープニング・ナレーション

遠い地平線が消えて
深々とした夜の闇に心を休める時
遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は
たゆみない宇宙の営みを告げています
満点の星をいただく果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に心を開けば
煌く星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂のなんと饒舌なことでしょうか
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります
これからのひと時
日本航空があなたにお送りする
音楽の定期便 ジェットストリーム
皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは
わたくし城達也です

エンディング・ナレーション

夜間飛行の
ジェット機の翼に点滅するランプは
遠ざかるにつれ次第に星のまたたきと
区別がつかなくなります
お送りしておりますこの音楽が
美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように
日本航空がお送りした音楽の定期便 ジェットストリーム
夜間飛行のお供をいたしましたパイロットは
わたくし城達也でした

2007年12月11日火曜日

皮肉にも東京タワーに背を向けた方が良好に受信出来て

たまたま見つかったテクニクスのFM専用2素子の小型アンテナ"TA-2200FM"のカタログ。

このアンテナを、FM放送のエアーチェックが全盛だった頃に使っていました。
今となっては"エアーチェック"と言う言葉自体が死語に近く、その意味を解せない世代が多くなっている様な気がします。蛇足ながら、"テクニクス(Technics)" も同じかもしれませんが・・・

音楽ソースの入手はネットからのダウンロードが当たり前、電波媒体を介する時代はとうの昔になっているようですが、当時は正に真剣勝負の様な有様で、自分のコンポやアンテナのチューナップをしていました。

東京タワーから2kmも離れていないところ、到来する電波の強さも強電界に準じる様なレベルで、しかも、伝播経路にはビルが建ち並び、直進してくる電波以外にアチコチのビルなどで反射してくる電波が沢山あって、いわゆるマルチパスに悩まされていました。

マルチバスが多いと言う事は、受信時にエコーを生じる様なもので、受信音が濁ったりガザガザと聴こえ、高忠実度の受信が出来るはずのFMに於いて、何とも情けない状態でした。

それでアンテナの工夫で何とかこれらの不具合を改善しようとして、秋葉原の石丸電気で買い求めてきたのが、この強電界地域用"TA-2200FM"でした。

小型軽量、2素子ながら位相差給電方式のアンテナです。これを10m程のマストの上に取付、一回転360度、手で回してみて一番良好に受信出来る方向を調べてみました。必ずしも東京タワーの方向が良いとは言えず、また、アンテナの高さを何通りか変えてみて、同じ様に調べました。

結果的に、一番良好な受信音が得られたのは、一番高い位置に取付て、東京タワーに対し殆ど真後ろ方向にアンテナを向けた時がスッキリと抜ける様な澄んだ受信音が得られる事が分かりました。

アンテナが軽いこともあり、32mm径の鉄パイプ二本と28mm径のアルミパイプ一本を繋ぎ合わせた自立型のアンテナマストになりました。
これが幾度かの台風にも耐え1970年代後半から十年間ほど便利に使いましたが、その後、CDやMDの登場と相まってデジタル化が進み始め、何時までもカセットテープの時代でないように感じ、エアーチェックすることさえ忘れる様になってしまいました。

このアンテナは既に朽ち果て、代替わりしていますが、往時のコンポは今も健在で、昔懐かしいアナログの柔らかなサウンドを聴かせてくれています。因みにチューナーはTRIO "KT-6100"、アンプはTRIO "KA-6100"、カセットデッキはSONY 2-Head "TC-K65"、同 3-Head "TC-K71"、同 プログラムタイマー"PT-77" それに、画像にはありませんが、スピーカはTRIO 25cm 3-way "LS-101" の構成です。

しかし、当時はこれだけ頑張っても、都内で良好に受信可能なFM局は、NHK-FM(82.5MHz)とFM東京(80MHz)の二局だけ。それでも、FM fanやFMレコパル、週刊FM、FM STATIONなど、いわゆるFM情報誌を頼りに毎日毎晩、エアーチェックに追われた日々は、既に四半世紀も彼方のことになってしまいました。

2007年11月12日月曜日

日本一地上から高い場所にある放送局が六本木に

六本木ヒルズの南西側、けやき坂の中程に、FMラジオ局「J-Wave」のサテライトスタジオがあります。
メインのスタジオは、六本木ヒルズ森タワーの三十三階に在り、定期放送している日本一地上から高い場所にある放送局だそうです。


東京では "FM東京" に次いで二番目の民間FMラジオ局として開局。
今年で開局以来二十年目、周波数81.3MHz、出力10kW、送信所は東京タワーです。
開局当時は音楽を多用するFM局が少なかったなか、アメリカの音楽専門ラジオ局のような "More Music Less Talk" 路線を打ち出しました。
DJをナビゲーターと呼び、ネイティブに近い程度の英語力必須、人並みでない人物像やキャリアが求められ、心地よい放送を目指すことからトーク内容にも厳しい制約があったとか?今までに、クリス・ペプラー、ジョン・カビラ、ジェームス天願、ルーシー・ケント、キャラ・ジョーンズなどが担当したのは今でも語り草です。


"The Best Music On The Planet" をスローガンに、音楽番組を中心に構成されていて、大半のナビゲーターは日本語と英語のバイリンガルDJです。このけやき坂スタジオはサテライトですが、見上げる程の高さにあり内部をのぞく事は出来ません。もう一つのサテライト、渋谷の HMVスタジオでは人気番組「GROOVE LINE」の生収録が毎日午後四時半から八時まであり大変な人気です。

2007年1月18日木曜日

短波放送が聴けるラジオを秋葉原へ買いに行った・・・

いつも手元に置いているソニーのオールウェーブラジオ「ICF-7600」ですが、短波の受信が出来なくなってしまいました。短波はスライドスイッチによる5バンド切替ですが、スイッチそのモノの故障のようです。

半年前にも音が出なくなりソニーで修理したラジオですが、バンド切替スイッチは流石に交換部品が無くて、そのままになっていてダメになるのも時間の問題とは感じていました。

この「ICF-7600」は、AM/FM_Wide band/SW_5-bandの優れもので、私にとっては幾つかある情報端末のひとつです。夜には国内の民放の殆どが聴けて、短波放送も海外からの日本向けプログラムを毎晩楽しみに聴いています。また、買った当初、FM放送はNHKと民放のFM東海(FM東京を経て今の東京FM)の二局だけでしが、今は、J-WAVE、InterFMの二局が加わり、送信タワーに近いところに住んでいることもあってクリアなHiFi放送を楽しんでいます。

初代 SONY ICF-7600 (私物です)

何しろ三十年も前に購入したモノで、その間には何度か修理していますが、さすが、今回はソニーへの修理依頼は断念して、代替のオールウェーブラジオを探すことにしました。

とは言っても、今どき短波放送を聴こうとする人は少ない?と思われ、製造をしているメーカも指折り数える程度では?っと思いつつ秋葉原へ向かいました。
すぐに思い浮かぶのはソニー製のモノだけ・・・競合するモノの有無も分かっていませんでした。

2006年8月2日水曜日

真空管式のAM/FMステレオレシーバーって

かって電子部品のキーパーツ的な存在だった真空管が姿を消してから久しく、真空管ってどんなものか?実物を見たことがない世代も多くなってきていると思います。

MT管(ミニチュア管)で
高さは5〜6cmが一般的
右に真空管の画像を付けておきます。
真空管時代の後期に出てきたMT管(ミニチュア管)で、それまでのどれよりも小型に出来ていて性能、品質ともに優れていました。構造的には、ガラスチューブの内部に電極が収まっていて、それと電気的に接続されたピンが外部に出て、そのピンを直にソケットに差し込むようになっています。

日本での真空管の全盛時代は、昭和二十年代初めから昭和四十年代前半だった様に記憶しています。ラジオや白黒テレビなど民生品を始め多くの産業機器にも使われた真空管ですが、ここではFMステレオレシーバーに使われた例をご紹介しておきます。

最初のトランジスタ式のFMステレオレシーバーが登場したのがは昭和三十年代後半でしたが、昭和四十年代半に真空管時代は終わりました。

以下の画像は、トリオのAM/FMステレオレシーバーですが、フロントパネルには「AM-FM Stereo Multiplex Receiver」 と表示されています。
昭和四十年頃のモノとしてはハイグレイドなクラス、パネル幅は430mmのBTS仕様で現在のモノと同サイズですが、重量は二倍かもっと重く、これには真空管(MT管)が16本使用されています。



五球スーパー(フロント)
左が音量ツマミ、右が選局ツマミ
五級スーパー(リヤ)
五本の真空管が使用されている
この頃の一般家庭では、ラジオと言えば、五球スーパーが普及していた時代で、その名の通り五本の真空管が使われていました。
ですから、16本が使用されていることから、それだけの機能強化と性能向上や安定性に重点が置かれたレシーバーだったと言えます。なお、五球の「球」は真空管のことで、初期の真空管は照明用の電球とその形状が似ていたため球と呼ばれたのだと思われます。

このFMステレオレシーバーを入手した昭和四十年(1965年)頃、東京都内で聴取できたFM放送は、NHK東京と実用化試験局としてのFM東海(後のFM東京、今はTFM(TOKYO FM))の二局だけでした。

その頃は、両局とも既にステレオ試験放送を開始していて、当時の数少ない?FMリスナーはその高忠実度な再生音と立体感(臨場感)に毎晩聴き入っていました。それも本放送が始まるだいぶ前のことで、FM放送を聴けること自体がステイタスだった時代のように思い出されます。

余談ですが、当時のFM放送の開局までの経緯を簡単にご紹介しておきます。
NHKは、日本で初めての本格的な超短波放送(FM放送)の実験放送局として、東京、大阪など全国主要都市で昭和32年(1957年)に開局。昭和38年(1963年)12月16日にはNHK東京でステレオ試験放送を開始しました。なお、本放送開始は昭和44年(1969年)3月1日からでした。

一方、FM東海は昭和33年(1958年)に「東海大学超短波放送実験局」として放送を開始、昭和35年(1960年)には「東海大学超短波放送実用化試験局」として放送を続けました。そして、昭和38年(1963年)にはNHK東京と同時にステレオ試験放送開始。昭和45年(1970年)、ほかの出資元も増やした株式会社形式の民間放送に移行、関東初の民間FMラジオ放送としてのFM東京が誕生しました。

以下は、私のお宝(ガラクタ)のAM-FM Stereo Multiplex Receiverですが、真空管による機器の内部がどの様になっていたのかが垣間見えます。

シャーシーは二段構造になっています。
画像では上半分の右側から左へ高周波増幅部 → 周波数変換部 → 中間周波増幅部 → 検波部 → ステレオ復調部と直線的に真空管とコイルが列んでいます。

画像の下半分、出力トランスが二つと右側が電源トランスです。出力トランスの下側に低周波増幅部の真空管があり、左端の真空管はイコライザ部です。一番下の黒く細長いモノが、AM受信用のバーアンテナです。
 
左が、高周波部分のアップです。四角形の金属板の中にあるのが周波数可変用のバリコンです。円形のプーリーからダイアル指針を左右に動かす為の糸が見えています。
真空管を挟み込むようにある直方体の多くは、中間周波トランスと言う、言わばコイルが内蔵されています。

シャーシーを下側から見た内部の様子です。
真空管のソケットや、ラグ版、ボリューム、ロータリースイッチなどへ、コンデンサーや抵抗そして五色のビニール被服の銅線が要所要所で半田付けされています。
 
 画像の右上にある円形のモノは選局ダイアルの軸に付いたフライホイールです。
鉛製で、ある程度の重量があり、ダイアルを回した時に慣性でスムーズに回る仕組みになっています。
見るだけでも沢山のパーツを取り付けている訳で、生産工数も掛かり、個々のパーツのバラツキなどもあり、規格を満たす為の苦労は並大抵ではなかったようです。