今月末で休館する、船の科学館の別館として展示されている青函連絡船の羊蹄丸ですが、現在、引き取り手を探しています。閉館で維持費の捻出が難しくなるためで、貴重な文化遺産でもあり、縁のある自治体や法人にぜひ無償で譲渡したいとしています。
「羊蹄丸」は、函館と青森を結んだ最後の連絡船で、青函トンネルの開通に伴い引退し、1996年からお台場の海面で一般公開していました。
私も、これが最後と思い久しぶりに乗船?してみました。しかし、引退後の船内はイベントホールの様に改装されていて、公開されている区画では、青函連絡船を思い起こすような内装も無く、ここが船内か?と改めて周囲を見回すほどでした。
ここでの展示は、海をテーマとした「シー&シップワールド」と昭和30年代の青森駅の様子を体感できる等身大の「青函ワールド」は、往時、青函連絡船を利用した方々には印象深かった様に思います。
並列する様に係留され一般公開されている南極観測船の宗谷にも乗船してみました。
鮮やかなオレンジ色の船体ですが、羊蹄丸より小さいのが見て取れます。しかし、こんな小さな船体で赤道を越えて、日本と南極を六回も往復するとは、ただただ驚くばかりです。
こちらの船内は往時の姿を比較的忠実に残しているようで、個々の船室には、そこを居所とする船員の階級が明示されています。
船の中では、士官と科員の二つの階級があります。士官は、船長をはじめ航海士、機関士、通信士、事務長、船医と言った国家資格を有する船員です。その他の船員は、科員と呼称し、甲板長をはじめとするいわゆる一般船員です。
陸の企業で言えば、士官は課長以上の管理職、科員は係長以下の一般職に相当するようです。
それで、宗谷でも、船長をはじめ士官は個室が与えられ、科員はほとんどが四名による相部屋のようです。この他、食堂も士官は士官専用があるなど、階級制度が職務だけでなく生活面でも大きく異なることが、部屋割りでも見て取れました。
狭い船内では、通路を行き来するにもカラダをかがめる様な仕草も必要で、狭く急な角度のタラップも難儀をしたことと思います。
宗谷海峡にちなんで名づけられた宗谷ですが、商船→特務艦→巡視船→南極観測船→巡視船→記念艦として、竣工から既に七十余年、未だ船籍は有るものの、このままでは朽ち果てんばかりの船体に涙するモノがあります。
船の科学館は休館しても、この宗谷は今まで通り一般公開されるので、機会があれば再度訪れたいと思います。
なお、蛇足ですが、
画像の中央、羊蹄丸の直ぐ後ろにある白いビルは「東京湾岸警察署」です。
元々は東京港内とその沿岸部を管轄する水上警察署がありましたが、海面の埋立造成で、お台場が出来たことにより、それらの地域も含め、新たに「東京湾岸警察署」が発足しました。
同じお台場に社屋があるフジテレビのドラマを連想させる名称ではマズイとの意見もあったり、商標権との兼ね合いもあり、頭に「東京」を付け加えたようですが、地元では何のこだわりも無く「湾岸署」と呼ばれています。
この日のお台場からの夕景です。
対岸の天王洲アイル方向が茜色に染まり綺麗な日の入りで、右側のレインボウブリッジに重なるように東京タワーも朱色に見えていました。
Translate
2011年9月29日木曜日
2008年9月13日土曜日
"海王丸 II世" と初代南極観測船 "宗谷" とのコラボが見られるお台場
船の科学館があるお台場の一番南端に、初代の南極観測船 "宗谷" が係留されています。
モノレール "ゆりかもめ" の台場駅で下車し、お花畑のある方へ歩き始めると、この日は、"宗谷" の少し先にある航海訓練所専用桟橋に帆船の姿が見えました。
四本マストの帆船で、恐らく "日本丸"か"海王丸" ではないかと思いつつその方向へ歩いていきました。
宗谷の係留されているより更に沖合方向の桟橋に、人影もなく静かに係留されていたのは "海王丸 II世" でした。後で分かった事ですが、七月に東京港を出帆しホノルルまでの遠洋航海から帰って来たばかりのようです。
帆船ゆえにマストから垂れたロープの数の多さに今さらに驚きます。これを自在に操り風任せの航海をする訳で、平穏な航海をすることの難しさを容易に想像し得ます。
"海王丸 II世" は、初代の海王丸の後継として、さらなる帆走性能の向上と大型化され1989年(平成元年)に就航。現在は僚船の "日本丸 II世" と共に航海訓練所による海事教育機関の練習船として船舶職員の育成に関わっています。
私も初代の "海王丸" に乗船したことがありますが、甲板から見上げるマストの様に圧倒されると同時に、これで航海が出来るのだと思うと、見えない大自然のパワーを実感しました。
![]() |
| 四本マストの海王丸 II世 |
四本マストの帆船で、恐らく "日本丸"か"海王丸" ではないかと思いつつその方向へ歩いていきました。
宗谷の係留されているより更に沖合方向の桟橋に、人影もなく静かに係留されていたのは "海王丸 II世" でした。後で分かった事ですが、七月に東京港を出帆しホノルルまでの遠洋航海から帰って来たばかりのようです。
帆船ゆえにマストから垂れたロープの数の多さに今さらに驚きます。これを自在に操り風任せの航海をする訳で、平穏な航海をすることの難しさを容易に想像し得ます。
"海王丸 II世" は、初代の海王丸の後継として、さらなる帆走性能の向上と大型化され1989年(平成元年)に就航。現在は僚船の "日本丸 II世" と共に航海訓練所による海事教育機関の練習船として船舶職員の育成に関わっています。
![]() |
| 左が初代南極観測船の宗谷、右遠方が海王丸 II世 |
![]() |
| 海王丸 II世 |
私も初代の "海王丸" に乗船したことがありますが、甲板から見上げるマストの様に圧倒されると同時に、これで航海が出来るのだと思うと、見えない大自然のパワーを実感しました。
2006年11月8日水曜日
南極観測船「宗谷」の出港から五十年
五十年前の同日、1956年(昭和31年)11月8日午前11時、国民の期待を一身に背負った南極観測船「宗谷」は東京港区の芝浦ふ頭を出航しました。
現在、芝浦ふ頭の南端にはレインボウブリッジの芝浦側の橋脚が建っていて、私が当時住んでいた家から1.5kmほどのところです。今は関係者以外オフリミットですが、当時は芝浦ふ頭への出入りは誰でも自由でした。
しかし、この時ばかりは交通規制があり警官の誘導で芝浦ふ頭に入り、出港式を見る事ができました。オレンジ色の船体が目に鮮やかで、五色のテープが飛び交う中を、腹に響く様な汽笛を鳴らし出航するシーンを今でも覚えています。
しかし、東京港内には外国船籍の大型貨物船がたくさん停泊していて、宗谷はそれに比べ遙かに小さく見え、この船が単独で赤道を越えて南極海まで往復してくるなんて、当時としては冒険に近い事と皆が思っていました。
それでも、南極では難なくオングル島へ直に接岸すると言うラッキーなニュースも聞き、島国の小国でも、やれば出来るとの自信を誰もが持った昭和三十年代だったと思います。
余談ですが、この「宗谷」は、お台場の南端にある船の科学館横の海面に当時の姿を留めつつ係留され一般公開されています。また、その向こう側に並ぶようにしてJNRの青函連絡船だった「羊諦丸」も係留され、こちらも一般公開されています。
現在、芝浦ふ頭の南端にはレインボウブリッジの芝浦側の橋脚が建っていて、私が当時住んでいた家から1.5kmほどのところです。今は関係者以外オフリミットですが、当時は芝浦ふ頭への出入りは誰でも自由でした。
しかし、この時ばかりは交通規制があり警官の誘導で芝浦ふ頭に入り、出港式を見る事ができました。オレンジ色の船体が目に鮮やかで、五色のテープが飛び交う中を、腹に響く様な汽笛を鳴らし出航するシーンを今でも覚えています。
![]() |
| 左手前が宗谷、右奥が羊諦丸 |
しかし、東京港内には外国船籍の大型貨物船がたくさん停泊していて、宗谷はそれに比べ遙かに小さく見え、この船が単独で赤道を越えて南極海まで往復してくるなんて、当時としては冒険に近い事と皆が思っていました。
それでも、南極では難なくオングル島へ直に接岸すると言うラッキーなニュースも聞き、島国の小国でも、やれば出来るとの自信を誰もが持った昭和三十年代だったと思います。
余談ですが、この「宗谷」は、お台場の南端にある船の科学館横の海面に当時の姿を留めつつ係留され一般公開されています。また、その向こう側に並ぶようにしてJNRの青函連絡船だった「羊諦丸」も係留され、こちらも一般公開されています。
登録:
コメント (Atom)





