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2010年8月31日火曜日

ママチャリに一気に抜かれ悔しい思いも

自転車に初めて乗ったのは十歳くらい、小学生の頃だった様に記憶しています。

当時は、今の様にカラフルで走行性能を誇れる様なモノは無く、黒一色で、ひたすら物資の移送が主な用途だったと思います。もちろん、子供用など無く、知人のお古をサドルをいっぱいに下げて何とか乗りこなしました。

こき使われ廃車同然の車体で、痛みも相当なモノを騙しだまし乗っていました。中学生の頃になると車輪をはずし車軸のベアリングを取り替えグリースを塗ったり、ブレーキのゴム材を自転車屋から分けて貰って何度も交換する技も身につけて車体の延命にも性を出しました。
就職し、豊かになりつつあった時代、ようやく自分の給料でピカピカの新車を買う事が出来ました。


青春サイクリング、小坂一也が♪♪♪サイクリング、サイクリング♪♪♪ヤッホー、ヤッホー♪♪♪なんて歌った時代、外装のギャーチェンジ付きの自転車も登場し、親しい仲間達と車列を組み遠出をすることも流行りました。

この当時は、マダマダ国道を走る自動車も今に比べれば、とても少なく、自転車の走行もスイスイと言った感じで遠乗りも出来た時代でした。

コドモが出来て、前カゴ付き、後ろには小さなイスを付けた、正にママチャリを気恥ずかしい思いも無く乗り回したこともありました。
今ではママチャリも電動アシストになり、前と後ろに可愛いヘルメットの幼児を乗せたヤンママに、上り坂で一気に抜かれる、悔しい思いもシバシバです。

これまでに乗り継いだ自転車は、両の手では数えられませんが、この夏にまたまた新車を購入しました。年相応に、20型の折りたたみ自転車です。

買う前には、電動アシストがお奨めなんて無責任な?アドバイスも周囲からあったが、最後の最後まで自分の足を信じて乗りたいと、ごくフツ〜の仕様のモノにしました。
都心の歩道の多くは整備され走り易いが、人の往来も多くてスピードも出せず、また、大型車では人並みを分けて進むには難があります。然りとて、車道の脇は危険過ぎて、都内では走る気にもなりません。

そんなこんなで、決めたのが画像のようなルックスの自転車です。
このサイズにも、洒落た?舶来ブランドのモノが多くありましたが、価格もほぼ横並びで、無難な国産メーカーのモノにしました。これが、最後の自転車になるのか?定かではありませんが、涼しくなる頃から筋トレに励みたい?と、高低差のある皇居周回の机上プランなどを思案しています。

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