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2006年8月15日火曜日

月刊アスキーが八月号をもって最終号に・・・

パソコンの黎明期だった1977年にパソコン総合誌として誕生した「月刊アスキー」は、約三十年にわたりパソコンの普及発展と共にありました。
しかし、パソコンは今や誰もが普通に使いこなせる時代になり、パソコンを世の中に広めると言う創刊以来の使命は少なからず果たされたとアスキーは考え「月刊アスキー」の終刊を決断したようです。

「月刊アスキー」 八月号 (350号)
終刊となる八月号、「パソコン30周年」と表紙にありますが、月刊アスキーが30周年を迎えるとしたら来年のこと。終刊号の特集では、1976年に発売されたNECのワンボードパソコン "TK-80" を基点にして「パソコン30周年」と定義したように本文から読みとれます。

日本のパソコンの歴史を作ったボード NEC TK-80

月刊アスキー 八月号のメインタイトルは以下のようになっています。

30年の間には忘れられないパソコンがこれだけある
特別付録のDVD-ROM
■伝説のパーソナルコンピュータ 100+

今につながる昔の最新パソコンの
■月刊アスキーの記事で見る30年

現在の常識はこうして始まった
■パソコン業界事件を追え

ハード、OS、本紙記事から振り返る
■Appleの軌跡

ロングインタビュー
■これからの30年を担うキーマン

■Direct MAil Area

そしてこらからの30年
■「パーソナルコンピュータ」に騙されるな

ありがとう 月刊アスキー350号
■77年創刊号からの全表紙


 

目次からもう少し詳しくピックアップしてみました。

30年の間には忘れられないパソコンがこれだけある
■伝説のパーソナルコンピュータ100+

●クラシックマシン
・TK-80
・IMSAI 8080
・PC-8001
・ベーシックマスター レベル1
・FM-8
・MZ-80K
・IBM PC(IBM PC model 5150)
・Data General One
・Compaq Portable
・Macintosh 128K

●初期のホビーマシン
・Apple IIe
・Atari ST
・FP-1100
・SMC-777
・PASOPIA 7
・松下 JR-200
・PC-6001
・SC-3000
・ぴゅう太

●PCゲーム絶頂期のホビーマシン
・IBM PCjr
・PV-7
・PASOPIA IQ(HX10-S)
・TeraDrive
・PIPIN aTMaRK
・PC-8801 mkII SR
・X1 Turbo
・FM-77/AV40
・PC-98DO
・MARTY

●PC-9801列伝
・初代PC-9801
・PC-9821As
・PC-9801UV11
・PC-9801VM2
・PC-H98 model70
・PC-9821
・PC-98XA
・PC-9801NC
・PC-9801RA2
・PC-9821 CEREB C200/V
・PC-286 NOTE exective
・PC-386GS
・PC CLUB(PC-286C)
・ValueStar NX VS30D

●モバイルの源流プチDOSマシン
・FMR-CARD
・モバイルギア MC-MK12
・Zeos Pocket PC
・HP200LX
・OASYS Pocket 3
・Palm Top PC 110
・Quaderno
・オムロン Massif
・Libretto 20

●魅惑の小型マシン,ハンドヘルド名機
・HP41C
・PB-100
・THE POQET PC
・UC-2000
・Atari Portfolio
・PC-8201
・PsionSeries5
・PalmTop PTC-300

●時代を先取りしたマシン達
・MB-16001
・Lisa
・PC-100
・BeBox
・NeXTcube
・Dynanote
・IBM ChipCard
・ThinkPad TransNote
・WS-1
・AS-300

●買えなかった!憧れのマシン
・YAMAHA YIS
・X68030
・Amiga 3000
・Macintosh II
・20th Anniversary Macintosh
・Silicon Graphics Visual Work Station320
・IBM ThinkPad 701c
・Digital HiNote Ultra II
・Archimedes A3010

●とことん使えた実用ノート
・DynaBook J-3100SS001
・ThinkPad 600
・Compaq Contura AERO 4/33C
・Frontier RT166mini(チャンドラ2)
・Lavie MX LX60T
・Let's note/M32
・PowerBook Duo230
・ThinkPad X31
・VAIO PCG-505

●微妙に素敵な一体型PC達
・Macintosh SE/30
・iMac(Flower Power)
・PROSET 30
・98MULTi CanBe(PC-9821Cf)
・e-one
・VALUESTAR NX simplem
・PET2001
・Macintosh Color Classic
・FM-TOWNS II UX
・PS/55Z 30U

●21世紀の銘機
・Compaq Tablet PC TC1000
・PowerMac G4 Cube
・Mac mini
・FMV-BIBLO LOOX S5
・Zaurus SL-C700
・バイオU PCG-U101
・Let's note LIGHT W2
・Mebius PC-MP70G
・TOUGHT BOOK CF-29
・VALUESTAR TX
・バイオ RX(PCV-RX70K)

●シリーズ末期の忘れられないPC
・Apple II GS
・PC-88VA
・PC-8801MC
・FS-A1GT(MSX turboR)
・FMV-TOWNS Fresh・GT
・Amiga 4000
・X1turbo Z
・PC-486HX

■今につながる昔の最新 月刊アスキーの記事で見るパソコンの30年
・ショーレポート
・ベンチマークテスト
・記録メディア
・回路図とDIY
・周辺機器
・コミュニケーションデバイス
・パソコンゲーム
・発見!ビル・ゲイツ
・未来予測記事
・LoadTest
・月刊アスキーの付録

■現在(いま)の常識はこうして始まった パソコン業界あの事件を追え!
(事件1)持ち運べるコンピュータの登場
(事件2)ウィンドウシステムとWindows 95
(事件3)オフィスとパーソナルコンピュータ
(事件4)コンピュータネットワーク
(事件5)Linuxの勃興とオープンソース
(事件6)写真の電子化

■ハード、OS、本誌記事から振り返る Appleの軌跡

■ロングインタビュー これからの30年を担うキーマン
・シックス・アパート株式会社 代表取締役 関 信浩氏
「歴史は繰り返す。ブログはネットの経済規模を変えていく」
・株式会社ミクシィ 代表取締役 笠原健治氏
「『あのサービスで時代がよくなったね』と言われるサービスを提供できる会社でありたい」
・ソフトイーサ株式会社 代表取締役会長 登 大遊氏
「歴史に名前が残るような仕事をしたい」

■Direct Mail Area【特別版】
あのころ夢見たコンピュータは実現したのか?
DMAに見る読者と月刊アスキーの30年

■そしてこれからの30年
「パーソナルコンピュータ」に騙されるな

■ありがとう 月刊アスキー350号
'77年創刊号からの全表紙

・DVD-ROMの中身&使い方
・INFOSQUARE
・読者プレゼント
・編集後記
付録のパソコン30周年 記念特別号 DVD-ROMの収録内容は以下

・特集まる読みPDF
・時代が見える対決特集 この4本!
・テクノロジー記事ベストコレクション
・ACSII Express ARCHIVES '77/07〜'00/11
・「アップル社 取材ビデオ」お蔵出し!

この春には、朝日新聞社から発行されていた「朝日パソコン」が終刊し、今回「月刊アスキー」も同じ道を辿ることになり、パソコン誌もハードウェアの時代からソフトウェア中心のメディアや大きく変わりつつある現実を実感します。



コメント(アーカイブ)

私のパソコンの歩みは、シャープのMZ-80Bから始まりました。
「月刊コンピュータ」「OH!MZ(OH!X)」等が 廃刊になる中で「月刊アスキー」は 頑張っていただけに残念です。
Posted by  海ほたる at 2006.8.15 20:43:08
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私のパソコンとの出会いは、このコンテンツの前にあるようにNEC PC-8001MK2です。データのセーブとロードに、ソニーの3ヘッド・カセットデッキTC-K71を用いて少しでもデータの信頼性を確保したいと一生懸命でした。その後、PC-8801MK2に買い換え、フロッピーディスクが使えるようになってから、神経を尖らせることが無くなりました。周囲にパソコン仲間など居なくてパソコン誌が唯一の頼りでしたが、「OH ! PC」から多くを学びました。
Posted by  BlueMac at 2006.8.15 23:53:00
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 アスキー終焉ですか。そういえば
私も雑誌から情報を得ていたのは何時まで
だったろうか・・ネットからの情報一辺倒で
PC系の本は数年前から買っていません。
それにしても懐かしい名前ばかりです。
Z80ボードからかなーまーまともに
物に成ったのは数少ないですが、
「朝パソ」も終わっていたんですね、
まったく気が付いていませんでした。
かなり昔ですが、パケット通信がらみで
数人の仲間とともに記事になりました。
楽しい編集長や編集者の方々でした。
Posted by  まぐま at 2006.8.17 00:35:16
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「日経バイト」も今年の一月号で休刊になっています。
編集部のコトバを借りれば、 
「日経バイト創刊から二十一年四カ月。その短くて長い歴史は、パソコンという類例のないデジタル機器によって生み出された。個人の対面で動作することが、バッチ的な処理ではなく対話的なコンピュータの使い方を生み出した。またパソコンはその汎用性ゆえにデジタル革命の流れのなかで中心的な役割を担ってきた。しかし今や最先端は携帯電話や、インターネットを介したオンライン・サービスに移っている。光芒を放ち、その光芒が消えるまでの様子を本誌の記事で振り返る」と前置きして、最終号では、
第1部 : 総論 パソコンの時代を駆け抜けた
第2部 : 各論 7分野の栄枯盛衰
[Part1 パソコン] 万人の道具へと変貌遂げる
[Part2 OS] DOSから本物の “基本ソフト” に成長
[Part3 CPU] 性能追求に明け暮れた
[Part4 外部記憶装置] 予想を超えた大容量化を達成
[Part5 ネットワーク] ブロードバンドへの大きなうねり

下へ続く
Posted by  BlueMac at 2006.8.17 11:22:14
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[Part6 開発言語/環境] ようやく主流となったオブジェクト指向
[Part7 アプリケーション] 「作る」から「共有する」への転換
とコンピューティングの二十一年を振り返っています。

多分、日経BP社になる前の日経マグロウヒル社の頃の創刊だったと思いますが、編集部に知人が居て、創刊五年目くらいの時にパソコンとどの様に毎日付き合っているかをテーマにしたシリーズで、私も何回目かに登場することになりました。
ある日の午後、渋谷の東急インで女性のインタビュアーとカメラマンそして編集部の方を前に小一時間ほど持論を展開しました。その号が発売になった後、行く先々で、その記事のことを話題にされ、赤面したことも今になっては懐かしい思い出です。

本文自体は、他のパソコン誌と一線を画すような格調高い?初心者には難解な編集方針でしたが、これからのコンピュータが目指す方向や使命を示唆していたように思われます。
しかし、予想も付かないようなコンピュータを取り巻く環境の激変に、従来の殻を大きく破るような変革に迫られ、近い将来の復活を期待されつつ休刊となってしまいました。

下へ続く
Posted by  BlueMac at 2006.8.17 11:25:01
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余談ですが、「無線と実験」が今年の五月号で発刊以来1000号になりましたが、戦前戦後を通じて、その編集方針に幾度かの軌道修正があり、今日に至っているからだと思います。
Posted by  BlueMac at 2006.8.17 11:26:24
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2006年8月14日月曜日

PC98なのに何故か32ビットで登場した「98NOTE/SX」

押入のお宝(ガラクタ)発掘でNECのPC-8801MK2を発見し、続いて、小型の元箱に入った同じNECのノート型のパソコンPC-9801NSが出てきました。

NECのノート型パソコンの初代機はA4ファイルサイズのPC-9801Nでした。
PC-98シリーズでは初めてのノート型パソコンで、既にデスクトップで使われていたCPUのV30(10MHz)が搭載されていました。しかし、東芝に先を越されたこともあって、慌てて辻褄を合わせたような出来の未成熟?なノート型パソコンで短命に終わりました。

余談ですが、日本初のノート型パソコンはセイコーエプソンのPC98互換機 PC-286NOTE executiveでしたが、直後に出た東芝初のノート型パソコンの二倍以上の価格だったため話題になる間も無く忘れ去られたそうです。
NEC PC-9801NS
この初代PC-9801Nの後継モデルとして、NECが起死回生?の思いで世に出したA4ファイルサイズのPC-9801NSは、別名「98NOTE/SX」とも呼ばれ、CPUをi386SX(12MHz)に改めて1990年5月に発売されました。
 先行する東芝のノート型パソコン「Dynabook J-3100SS」を越える事を期待して、従来、NECのPC98シリーズは16ビット機だったのに突然32ビット仕様で登場しビックリしました。

しかし、このi386SXは、32ビットのCPUなのに、廉価版と言う事でI/Oが16ビットのまま、32ビットならではの特徴を持ってはいませんでした。また、残念ながら32ビット命令で書かれたプログラムが当時まだ全然なかったので、その早さを実感できる機会もありませんでした。

当時は未だ、ハードディスクが一般的でなかった時代。アプリの多くがフロッピー二枚差しで動作するものでした。PC-9801NSには3.5インチFDD(フロッピーディスクドライブ)は一つしかないので、その様なアプリを動かすために内蔵のRAMがRAM-DRIVEとして使える様に設計されていました。

それでも、ノート型パソコンを待っていた私には当然ながら食指が動きました。

秋葉原のどこの店で買うかで暫く思案していましたが、当時は未だアキバに一店舗しかなかったソフマップへ行きました。

ソフマップのその頃の店内ルールは、徹底した「質問お断り」。
とにかく「値段」と「在庫」だけ聞いて、納得出来れば「それ買います」って言うだけでした。

所狭しと積んである商品の山から一台を下ろし、紐掛けして「お待たせしました〜」っと手渡されました。もちろん現金決済、その代わり、アキバで一番安い価格設定をしていました。それは、たしか1990年8月だった様に記憶しています。

価格は二十五万円近くでソフマップ価格は二十万円くらいだったと思いますが、細かな数字は忘れています。当時の私にとってはとても高い買い物でしたが、それでもFDDは一台だけ。20MBのHDD内蔵モデルは更に五万円くらい必要でとても手が出ませんでした。

それでも その後すぐに、2MBのRAMカードを購入し、EMSメモリーとして、MS-DOSのRAM 640kBの呪縛から何とか逃れたいと必死でした。

OSはMS-DOS3.3Cであったと思いますが、一太郎dashとロータス1-2-3のアプリをそれぞれシステム込みのFD(フロッピーディスク)として製作し、必要に応じて抜き差しして立ち上げていました。いま思えば、FD一枚で起動してアプリが使える訳で、それなりに凄いことだと感心します。

1990年からWin95が登場した1995年頃までワープロと表計算の仕事に活躍してくれとても助かりました。今はマイクロソフトオフィスなど誰もが当たり前に使う時代ですが、当時では凄く先進的なことだった?と自分では思います。
充電式バッテリーパック

充電式バッテリーも一時間半くらいしか動作しなかったですが、持ち歩けることが嬉しかったです。当時は生意気にもサムソナイトのアタッシュケースを持ち、PC-9801NSを小脇に抱えて仕事に出たことがシバシバありました。

しかし、バッテリ込みの全重量は恐らく5kgを越えていたと思います。今のノートタイプPCで2.5kgはポピュラーですが、これでも重くて、持って歩くことなどは、嫌われます。

それでも、パソコンを持って歩けること自体が「出来るサラリーマン」の条件の一つくらいに考えていた時代を、今さらに思い起こし、我ながら恥じ入ると共に技術の進歩に驚きを隠せません。

2006年8月13日日曜日

ソニーが無線LANやブラウザを搭載した携帯デバイス「mylo」を発表

ソニーの携帯デバイス「mylo」は、音楽や映像の再生が可能なほか、無線LAN機能とウェブブラウザを内蔵し、ネットサーフィンのほかメール、Google TalkやYahoo!などのインスタントメッセンジャー、Skypeも利用できる。9月の発売で価格350ドルを予定しているとか・・・日本での発売のアナウスはまだ無い。

ソニー 携帯デバイス mylo

myloとは「my life online」の意味で、IEEE802.11bの無線LANでネットに接続し、オンラインサービスを楽しめるようです。本体には2.4インチのカラーLCDを搭載し、スライドさせることでQWERTY配列のキーボードを使用できます。

1GBのフラッシュメモリが内蔵され、音楽や動画、画像などを保存。MP3、ATRAC、WMAの音楽ファイル、MPEG-4の動画ファイルの再生に対応するようです。
画像はJPEGに対応し、本体のUSBポートやメモリースティック Duoから読み込むことが出来るとか・・・電源はリチウムイオンバッテリーを使用し、連続45時間の音楽再生、7時間以上のネットサーフィン、3時間以上のSkype通話が可能とあります。

ウイルコム 情報端末 W-ZERO3[es]

ウイルコムの情報端末として七月に発売になったW-ZERO3[es]では、シャープのザウルスのしがらみを引きずりつつ、PHSによるメール/ブラウズ機能をプラスしたオフィスユース的な利用とは対照的に、ソニーのプレステの要素を多く含みつつ無線LANによるネットサーフィンやメッセンジャー、Skypeも出来ることで遊び的なツールとして期待したいものです。

2006年8月11日金曜日

iBookにピッタリ?の AirHが遂に一円に

ウイルコムが発売していたAirH USBタイプの「AH-F401U」が八月に入り秋葉原では金一円也の値札が付いています。この春頃に生産中止の報が流れていて、在庫限りで姿を消すようです。


富士通 AH-F401U

それまでは新規の契約で一万円弱の価格でしたが、私は春頃、偶然にも某マック中古専門店で未開封の中古品を980円で買いました。いずれモバイルでもする時に契約でも・・・っと考えていて現在に至っています。高い買い物だったか?分かりませんが、機会があれば使ってみたいと思っています。

因みに、対応OSは、
Mac OS9.1〜9.2.2、Mac OS10.1〜10.2.2
Win 98SE〜XP

180度くらい曲げられる

128kbps高速パケット通信対応で、しかもUSB1.1端子へ簡単に抜き差し出来るので、USBしか使えないマックのノート型 iBookには適していると思います。画像では黒色ですが、iBookと同色の白色タイプもあります。

2006年8月9日水曜日

冬眠していたNECのPC-8801MK2でロードランナーが走るか?

NECのPC-8801mk2用にシステムソフトから発売になっていた人気ナンバーワンのソフトウェアは、何と言ってもBroderbund SoftwareのLode Runner(ロードランナー)とCHOPLIFTER(チョップリフター)、Midnight Magic(ミッドナイト・マジック)の三部作だったと思います。PC-8801mk2とは別のところに保管してあり、直ぐに見つかりました。

以下の画像にあるモノは、当時、秋葉原のPCショップで購入したAmerican Top Hits Seriesのロードランナーとチョップリフター、ミッドナイト・マジックです。

American Top Hits Series

一番大きなパッケージは、Lode Runner(ロードランナー)の続編「Championship」です。世界中のロードランナーマニアが頭を振り絞って考えた超難解な50面がコレクションしてあります。なお、これら四つとも5インチ2Dのフロッピーディスクに収録され、いずれも6,800円でした。

パッケージの説明から少々引用すると、

Lode Runner(ロードランナー)では、
走れ、走れ。ひたすら走れーーー
君は、俊足のコマンド。盗まれた黄金を
取り戻しに、敵の地下宝庫へ忍び込む。
追手をかわして、走り、跳び、ハシゴを昇り、鉄棒をわたる・・・
機敏なアクションと迷路をぬってめざす宝にたどりつく頭脳
プレーの2重の楽しさ。画面数は、なんと150シーン。しかも、
自分で自由に画面を構成して、
ディスクにセーブできる編集モード付き。

CHOPLIFTER(チョップリフター)では、
Firest Sortie(第一出撃)!
君はヘリを操縦して、敵地へ向かう。使命は、
生命の危険がせまる人質64名の救出。燃え上がる
宿舎から必死で逃げまどう彼らのもとへ強行着陸。敵戦車
の攻撃をかわして、基地へ無地帰還することーーー
Second Sortie!
敵はジェット戦闘機で迎撃。さて君は、
何人の人質を救出できるだろうかーーー

Midnight Magic(ミッドナイト・マジック)では、
デュアル・フリッパーがうなる。
バンパーにぶつかり、はじけとぶボール。
チカチカと点滅するネオン。メカニカルなサウンド・・・
スコア・ボードの数字が6桁をこえる日を夢見て、今宵も、
君の果てしのない挑戦が始まる。アメリカ人の心をとらえて
離さないピンボールの魔術。その魅力をスクリーン上に
本物以上のリアルさで
再現したミッドナイト・マジック。狙いどおりの
ターゲットに命中させる
正確なコントロールが
ハイスコアのキメ手。
良きゲームを祈る!

Lode Runner(ロードランナー)「Championship」では、
もう。くやしいほどに無我夢中。このチャンピオンシップ。
世界中のロードランナーマニアが頭を
ふりしぼって考えた超難解50面をコレクション。
ロードランナー150面をクリアしてマスターした、時間差掘り、
盗人掘りなどのハイテクニックを右に、
左に駆使しても、なかなか歯が立たないシロモノばかり。
しかも、一つの面をクリアしないと、
次の面へトライできない意地悪さ。このおもしろさは、
もう犯罪的。これでもか、これでもか、不眠不休
の悪夢が続く。

なかでも、Lode Runner(ロードランナー)には、かなり熱中した思い出があります。
今のようにマウスもなく、キーボードの矢印キーで上へ下へ、右へ左へ・・・シッコい追手をかわして、スペースバーで穴を掘り黄金をゲットし、また逃げるように次の黄金に接近を試みる、果てしもないような息詰まるゲームの進行にハマッていました。

PC-8801mk2が未だ生きていることが分かれば、RUNを試みてみたいと思います。

NEC PC-8801mk2 Model 30 (私物)





コメント(アーカイブ)

いつも、懐かしい物が登場しビックリというより、「おー」なんですが。当時はゲームにこんなお金は出せませんでした・・打ち込み有るのみ!最近はsymbiamOSが乗った携帯電話でファミコンのエミュレータ乗せて、RSMMCのメモリー512M入れてファミコンゲームやってます。
昔 LC475 16Mメモリーを8万で購入した記憶が・・
技術の進歩なんでしょうか・・
Posted by  まぐま at 2006.8.9 23:17:37
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エミュレータは知っていますが未体験です。しかし、マックユーザの私が大きな声では言えませんが、SW ONで直ぐに立ち上がるPC98があります。
NECのWin3.1搭載の最終モデル、WIn95の無償Updateが保証されたPC98です。
WIn95にUpdateして、メインメモリーも8MBから64MBに、二次キャッシュも256kBを追加。外付けに4GのHDDと230MBのMO drive付き。Clockは何と75MHzと言う代物。
今どき、こんなものと思いきや?75MHzに見合った、一太郎やロータス1-2-3など、どれもラクラクと動いています。
しかも、Ethernet接続のため、何とCバスにEtherカードを装着。これにはDOSコマンドによるSetupが必要で四苦八苦、結果オーライで今もノートラブル。
そんなPC98故に、N88-Basicが今も立ち上がるんですね。
エミュレータならぬ本物のBasicで昔のSoftwareが動きます。今のGameから比べれば何とも幼稚な感じもしますが、往時を思い出しつつのめり込むGameには、その時代を知っている者にしかない思い入れがあります。
Posted by  BlueMac at 2006.8.10 17:44:33
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2006年8月8日火曜日

真夏の午後の日比谷公園は人影も疎らで

真夏の昼下がり、都心の日比谷公園は過熱状態で人影も疎らで、特に大噴水を臨む中央広場は照りつける陽光を遮る木々も遠くてベンチには長居出来ないほどでした。

植栽された花々も多く、彩りも鮮やかですが、流石の日差しに元気のない様子。唯一、テニスコート脇のヒマワリの並木道は背丈を悠に超す大輪のヒマワリが満開で、独り元気な雰囲気を感じました。

日比谷通りに面した高層ビルの窓ガラスに全反射する太陽光が公園全体を照らし出し、ここだけは東と西から照らされて一種独特の陰影を作ります。帝国ホテルの列びのビルの窓ガラスに移り込んだ白い雲と青空が、バックの空と一体化して不思議な情景が見られました。

左から、帝国劇場、第一生命、丸の内警察署


心字池
第一花壇
草地広場へ通じる道
テニスコート横のヒマワリ
大噴水
左から、帝国ホテル、NTTビル、みずほ銀行本店
第二花壇

2006年8月6日日曜日

二十年以上も前の NECのパソコンって その3

NECのパソコンPC-8001mk2の発掘中に、その後に購入した同じNECのパソコンPC-8801mk2も元箱入りで出てきました。
勿論、PC-8001mk2から買い換えたPC-8801mk2です。

たいへん似通った性能のパソコンでしたが、何よりも嬉しかったのは二台のFDD(フロッピーディスクドライブ)が標準装備になったことでしょう。もっとも価格設定の問題で、FDD無し、FDD一台装備、FDD二台装備の三モデルが用意されました。しかも、キーボードが本体から分離し、操作性も良くなり、本格的なパソコンらしさを感じられるようになっていました。

NEC PC-8801mk2 Model 30
PC-8001mk2では、データのセーブとロードに、音楽用のカセットテープレコーダが用いられ、音楽を録音再生すると同じ様にカセットテープを記録媒体としていました。これは安直ですが、データの読み書きに時間が掛かることと保存データの信頼性に若干の不安を抱えていました。そんな意味では、このFDDの標準装備でデータの管理が簡単になり、しかも信頼の置けるモノになりました。

それと、JIS第一水準の漢字ROMが標準で組み込まれたことです。それまではキーボードにある、英数文字と半角カタカナしか使えずにいて、この漢字ROMの搭載で漢字が使え、ワープロソフトなども使えるようになりました。

そんな意味に於いては、やっと実務でも使えるようになったパソコンと言えますが、この続きで、もう少し詳しく説明をしてみたいと思います。



コメント(アーカイブ)

BlueMacさん、はじめまして。
私も88mkⅡを持っていました。懐かしいです。
最初はドライブなしでデータレコーダー(死語?)だったのですが、後でドライブを一台増設しました。
ロードランナーや夢幻の戦士のやりすぎで大学受験が危うくなったことを思い出しました。
Posted by  モバイル通信兵 at 2006.8.8 18:47:26
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当時の市販のソフトウェアで、一番面白く遊べたのが、システムソフトから発売されていた、ブローダーバンド・ソフトウェアの「ロードランナー」と「チョップリフター」、「ミッドナイト・マジック」でした。
何と言っても、ロードランナーは極め付きの面白さ・・・しっこい追手から何とか逃れ、黄金を取り戻しに行くスリルが良かったです。何ヶ月か掛かって全面クリアーしましたが、その後に発売になった続編の「チャンピオンシップ」は、数面しか進めずギブアップしたままになっています。
Posted by  BlueMac at 2006.8.8 22:21:53
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2006年8月4日金曜日

二十年以上も前のNECのパソコンって その2

箱だけしかなかったNECのパソコンPC-8001mk2をガラクタの山の向こう側から発掘しました。
テンキーも付いていた
しまい込んでから、だいぶ年月も経ていて擦り傷もありますが、まあまあ原形を留めていました。

キーボードと言うか、キーそのモノとキー配列は初代のPC-8001と全く同じだと思いましたが、四年ぶりのモデルチェンジでかなり機能拡張が図られ、奥行きが延び、持ち上げるとかなり重たくなったのが分かりました。

初代機が鉄製だった筐体も樹脂製に変わり、民生機器ぽくなった印象を強く感じました。
本当は初代機を買うつもりで秋葉原へ何度も通いPC店で色々と聞いて回ったりしました。
キーボード一体型パソコン
それでも、自分に使いこなせるのか?疑心暗鬼になりつつ、今度の週末には絶対買いに行くと決心しました。

しかし、その週に日本電気から新製品の発表があり、何と四万円も安くしてのモデルチェンジで、これを待つしかないと、はやる気持ちに待ったをかけました。

 暫くして予約を受け付けると聞き、秋葉原へ出かけPC店ではなく総合家電の大型店だった石丸電気へ向かいました。

石丸電気は普段から家電製品の購入では通い慣れていましたし、PC店で何か難しい質問でもされると、知識もなく、恥ずかしいと思っただけなんですが・・・
インターフェイスも充実
それから幾日か経ったある日、ようやく念願だったパソコンを手にしました。
正にその日が私の人生に於けるパソコン元年だったのですが、1983年のある日としか記憶に無く、今思えばこんな日を忘れてしまうとは情けないの一言です。

以来、PC-8001 → PC-8801 → PC9801 → PC-9821と歴代のNEC製を買い替え、日電大明神の庇護の元にありました。
カラーアダプタでテレビがモニター代わりに
それからだいぶ日時が経って、DOSVに転向した98NXでは、日電の辻じ説法に歯切れの悪さを感じ、姫リンゴ教に改宗、今日まで「I love Mac」と唱える平穏な毎日が続いています。

しかし、最新のマッキントッシュはWIN XPもブートするようになり、庇を貸して母屋を取られる恐れもあり、Back to WIN にならぬことを独り念じています。

 

車載用のスピーカーがブラウン管に災いして

物置の整理の途中で出てきた車載用の小型スピーカー。元箱にキチンと納められ二十年ほど静かに眠っていたようです。

1980年代半ばのケンウッド製で、形の割にパワーがあり、ちょっとボリュームを上げると腹に響くような迫力に酔いしれていた時代がありました。

シッカリと音を聞くときは同じケンウッドの25cm/10cm/5cmの3-Wayの大きめサイズの箱の奴で聴きますが、何かしながら聴くときは専らこれでした。
その後、部屋の模様替えなどで居場所を失い、いつしか奥の方へ押し込まれていたようで、自分自身もその存在すら忘れていたほどの可哀想なスピーカーです。

車載用なのに、何故か机の下、足下に置かれていて、家具に囲まれるような状態ながら、そこの閉じられた空間が音場再生に効果があり?下から湧き上がる様に音が伝わってきました。
スピーカーは3-Wayで、
  Woofer 10cm
  Mid-Range 4.5cm
  Tweeter 2.5cm
瞬間最大入力は50Wながら重量は1.1kgと軽くコンパクトに出来ています。

車載用のスピーカーのパワーの源は駆動用の大きな磁石に因るところが大きいと思います。しかし、この磁石から出る強力な磁力線が思わぬところで災いの元になっていました。

デスクの足下にこのスピーカーを置き、省スペースにもなるし有り難いと思っていました。
それから数ヶ月が過ぎたある日、部屋の模様替えでデスク上に移動した一台のパソコンの電源をONすると、いつも見慣れたオープニング画面が歪んで、しかも発色もとんでもない色合いになりビックリしました。

最初は、パソコンが壊れたか?とドキドキしましたが、キーボードからの入力に対して、それなりに反応しているので、原因は別ではないかと推測しました。

何気なく足下のスピーカーを足先で動かしたところ、画面の状態が大きく変化することに気付き、直ぐに納得しました。今は液晶ディスプレーが一般的ですが、当時はブラウン管式モニターで、磁力線の影響をまともに受けていたようです。

ご存じの方もあると思いますが、ブラウン管の原理は磁力線により電子の流れを制御して画面を作っています。しかし、この場合は、外部から磁力線が影響して、ブラウン管内部の電子の流れが邪魔されて、正しく画面を表示出来ていなかった訳です。
それ故、やむなくスピーカーをその場から撤去する羽目になりました。

この場合、テレビでも同じ症状が発生したと思われますが、試すこともなく今日に至っています。現在、多くのご家庭では液晶式テレビかプラズマ式だと思われ、この様な症状にはならないと思いますが、未だブラウン管式をお使いの方は注意が必要です。そんなことを思い起こせば、このスピーカーの引退理由が今さらに分かった様な気がしています。

2006年8月2日水曜日

真空管式のAM/FMステレオレシーバーって

かって電子部品のキーパーツ的な存在だった真空管が姿を消してから久しく、真空管ってどんなものか?実物を見たことがない世代も多くなってきていると思います。

MT管(ミニチュア管)で
高さは5〜6cmが一般的
右に真空管の画像を付けておきます。
真空管時代の後期に出てきたMT管(ミニチュア管)で、それまでのどれよりも小型に出来ていて性能、品質ともに優れていました。構造的には、ガラスチューブの内部に電極が収まっていて、それと電気的に接続されたピンが外部に出て、そのピンを直にソケットに差し込むようになっています。

日本での真空管の全盛時代は、昭和二十年代初めから昭和四十年代前半だった様に記憶しています。ラジオや白黒テレビなど民生品を始め多くの産業機器にも使われた真空管ですが、ここではFMステレオレシーバーに使われた例をご紹介しておきます。

最初のトランジスタ式のFMステレオレシーバーが登場したのがは昭和三十年代後半でしたが、昭和四十年代半に真空管時代は終わりました。

以下の画像は、トリオのAM/FMステレオレシーバーですが、フロントパネルには「AM-FM Stereo Multiplex Receiver」 と表示されています。
昭和四十年頃のモノとしてはハイグレイドなクラス、パネル幅は430mmのBTS仕様で現在のモノと同サイズですが、重量は二倍かもっと重く、これには真空管(MT管)が16本使用されています。



五球スーパー(フロント)
左が音量ツマミ、右が選局ツマミ
五級スーパー(リヤ)
五本の真空管が使用されている
この頃の一般家庭では、ラジオと言えば、五球スーパーが普及していた時代で、その名の通り五本の真空管が使われていました。
ですから、16本が使用されていることから、それだけの機能強化と性能向上や安定性に重点が置かれたレシーバーだったと言えます。なお、五球の「球」は真空管のことで、初期の真空管は照明用の電球とその形状が似ていたため球と呼ばれたのだと思われます。

このFMステレオレシーバーを入手した昭和四十年(1965年)頃、東京都内で聴取できたFM放送は、NHK東京と実用化試験局としてのFM東海(後のFM東京、今はTFM(TOKYO FM))の二局だけでした。

その頃は、両局とも既にステレオ試験放送を開始していて、当時の数少ない?FMリスナーはその高忠実度な再生音と立体感(臨場感)に毎晩聴き入っていました。それも本放送が始まるだいぶ前のことで、FM放送を聴けること自体がステイタスだった時代のように思い出されます。

余談ですが、当時のFM放送の開局までの経緯を簡単にご紹介しておきます。
NHKは、日本で初めての本格的な超短波放送(FM放送)の実験放送局として、東京、大阪など全国主要都市で昭和32年(1957年)に開局。昭和38年(1963年)12月16日にはNHK東京でステレオ試験放送を開始しました。なお、本放送開始は昭和44年(1969年)3月1日からでした。

一方、FM東海は昭和33年(1958年)に「東海大学超短波放送実験局」として放送を開始、昭和35年(1960年)には「東海大学超短波放送実用化試験局」として放送を続けました。そして、昭和38年(1963年)にはNHK東京と同時にステレオ試験放送開始。昭和45年(1970年)、ほかの出資元も増やした株式会社形式の民間放送に移行、関東初の民間FMラジオ放送としてのFM東京が誕生しました。

以下は、私のお宝(ガラクタ)のAM-FM Stereo Multiplex Receiverですが、真空管による機器の内部がどの様になっていたのかが垣間見えます。

シャーシーは二段構造になっています。
画像では上半分の右側から左へ高周波増幅部 → 周波数変換部 → 中間周波増幅部 → 検波部 → ステレオ復調部と直線的に真空管とコイルが列んでいます。

画像の下半分、出力トランスが二つと右側が電源トランスです。出力トランスの下側に低周波増幅部の真空管があり、左端の真空管はイコライザ部です。一番下の黒く細長いモノが、AM受信用のバーアンテナです。
 
左が、高周波部分のアップです。四角形の金属板の中にあるのが周波数可変用のバリコンです。円形のプーリーからダイアル指針を左右に動かす為の糸が見えています。
真空管を挟み込むようにある直方体の多くは、中間周波トランスと言う、言わばコイルが内蔵されています。

シャーシーを下側から見た内部の様子です。
真空管のソケットや、ラグ版、ボリューム、ロータリースイッチなどへ、コンデンサーや抵抗そして五色のビニール被服の銅線が要所要所で半田付けされています。
 
 画像の右上にある円形のモノは選局ダイアルの軸に付いたフライホイールです。
鉛製で、ある程度の重量があり、ダイアルを回した時に慣性でスムーズに回る仕組みになっています。
見るだけでも沢山のパーツを取り付けている訳で、生産工数も掛かり、個々のパーツのバラツキなどもあり、規格を満たす為の苦労は並大抵ではなかったようです。