12月14日未明に、ふたご座流星群の活動がピークとなる予報に、寝たり起きたりで朝を迎え、寝不足だったからか忘れていた。
元禄十五年十二月十四日(1703年)は、赤穂浪士が本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入り、武士の本懐を遂げた日なのだ。
それから三百年余、その四十七士と主君浅野匠頭の墓所がある高輪泉岳寺では義士祭が執り行われ、普段は割と静かな境内もこの日ばかりは参詣の人々で混雑していた。
泉岳寺は直ぐ其処っと言ってもよい所に居るが、普段は門前を通り過ぎるだけ。しかし、今日ばかりは参詣の人々について境内に入った。
昼間のことでそれほど苦もなく本堂まで辿り着けたが、夜は大変な混雑になるらしい。本堂の左手、紫煙の絶えない墓所までは長蛇の列、冷たい風に吹かれては辛抱ならず早々に退散した。
しかし、何故に、三百余年が過ぎても、この賑わいなのか?いや、未だに人気が有るのかも。
往時、上演すれば必ず大入り満員御礼になったと言われる仮名手本忠臣蔵や、現世では、三波春男の歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」のサビの部分、「命惜しむな名おこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞよ・・・」の条(くだり)に共感するモノが、日本人の心の隅に生きているからかもしれない?
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