1996年3月24日から10月13日までの204日間、世界都市博覧会(都市博)が、ここお台場の臨海副都心で開催される予定で、それらの関連施設が建つはずだった土地なのです。
ワイルドフラワーガーデンのキバナコスモスの向こうにお台場の観覧車 |
1993年、当時の鈴木俊一東京都知事が国連や海外の46都市、国内122自治体が参加し、臨海開発の起爆剤として計画していた都市博でした。
しかしバブル崩壊によりオフィス需要拡大の思惑が外れ、着工半ばの1992年頃より進出内定企業の契約辞退が相次ぎました。
この様な事態に放送作家であつた、意地悪ばあさんこと青島幸男が臨海副都心の象徴とも言える都市博中止を公約に1995年4月9日の東京都知事選挙に立候補。結果、約170万票を獲得し、鈴木知事の後継で都市博開催を公約にした石原信雄に大差(約123万票)で勝利しました。都市博を中止せよと言う多くの東京都民の声が青島幸男の大量票獲得に貢献したと言えます。
世界都市博中止を公約に当選した青島幸男都知事でしたが、この都市博開催を行うかどうかの決断は1995年5月31日までにしなければならなくなり、タイムリミットは迫っていました。
しかも東京都議会は5月23日の本会議において100対23の大差で「都市博開催決議」を可決し、青島都知事の公約は貫徹されない、という考えが支配的でした。
しかし、青島都知事は全国の注目を集める中で都市博の「中止」を発表しました。
公約を実行するのが困難だとみていた人々は「まさか中止するとは信じられない」と衝撃が走りました。それにしても、自らの公約をキッチリ実行した青島幸男のお陰で今も野草が茂り、蝶やトンボが乱舞し、野の花々が群生する土地が都心のここに残りました。
秋の野に花が咲きそろうお台場
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