石川播磨重工の跡地に建った、ららぽーと豊洲 (正面中央) |
ここ豊洲は東京湾の一番奥に位置する海岸でしたが、今は海面の埋立で出来たお台場などが沖の方に出来てしまったため陸地に埋没した格好になりました。それでも目の前の晴海運河には晴海大橋が掛かりその向こうにはレインボーブリッジが望める位置にあります。
この "ららぽーと豊洲" の前の運河伝いに西の方角に東京商船大学があるのを知っていて、ついでながら、そこまで足を延ばしました。
佃煮の発祥の地、佃島から越中島へ掛かる相生橋まで行くと隅田川の向こうに東京商船大学のキャンパスが遠望できました。
川に面したところにボンドがあり、クルーザーが何隻か係留されているのが見えました。多分、壁で遮られて見えない側に "カッター" が係留されているのでは?と思いました。
"カッター" って、レオナルド・デカプリオ主演の映画 "タイタニック" で、巨大な氷山との衝突で沈みゆく中、乗客が避難するために乗り移った救命艇に酷似したカタチの艇です。
昔の軍艦では、停泊中の本船と港との人員往来のために用いられた小型の艇が "カッター" と呼ばれたそうです。元々、救命艇は船首と船尾が同型ですが、その船尾をカッターで切り落とした様な船型がその名の由来と伝え聞いています。
相生橋の中程に小さな島があり橋から降りられる様になっています。たまたま満潮時刻に近く足下近くまで波が寄せていて、潮の香りに海を感じました。北から流れてくる隅田川は、この佃島の東側と西側を流れて東京湾に注ぐ訳で、常にこの辺一帯は川水と海水が激しくぶつかり合う場所です。
欄干にもたれる様にして水面を眺めていると、急にかけ声が聞こえ、上流方向からカッターがスーッと現れました。期待していなかっただけにビックリしました。ここに来た理由は、もしかしてカッターが見られるかもしれないと思っていたからです。
カッターは、漕手が十二名(左舷と右舷六名ずつ) 、艇尾で舵柄を握る艇長、号令をかけ指揮する艇指揮を含め十四名がクルーです。
隅田川を力漕する東京海洋大学越中島キャンパスのカッター |
たまたま天気も良く波静かで漕ぎやすいこともありますが、相生橋前の水面を行ったり来たり、何度も反復の力漕で、若い時でないと、とても出来ないとツクヅク思いました。
このカッターですが、私も若い頃に(2番を)漕いだ経験があり、久々にその姿を目の当たりにして、懐かしく往時を思い出しました。
しかし、今回のクルーに女子学生の姿も見えて、私達の時代では考えられなかった環境の変化です。かっては、板子一枚下は地獄と言われた海の男の世界にも女性の進出でしょうか?これもご時世かと考えさせられました。
蛇足ながら、
空覚えしていて、東京商船大学と記述しましたが、近年、港区にあった東京水産大学と統合し東京海洋大学と校名が変わりました。それで、各校を、それぞれ越中島キャンパスと品川キャンパスと呼んでいるようです。
明治の頃、近代国家形成を急いだ大久保利通が岩崎弥太郎に命じ、私立三菱商船学校として開校したのが始まりで、時が移り、学校を取り巻く環境も大きく変わったいま、神戸商船大学とともに校名から "商船" の文字が消えてしまいました。
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